読録 1 “山口周 ~ 世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか ~ “

久しぶりに良い本に出会いましたので、読録をつけたいと思います。。
2018年 第1号は山口周さん著書の 世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか という本についてです。

個人的全体評価: (5/5)
読みやすさメーター: (4.5/5)
語彙の難しさメーター: (2/5)
ドキドキメーター: (4/5)
新しい価値観メーター: (5/5)
説得力メーター: (4.5/5)

この本に自分でタイトルをつけるならズバリ: 成功したければ自分の中にアートとサイエンス両方を持て!

著者: 山口周

1970年東京都生まれ。慶應大卒。電通、BCGを経て現職は組織開発・人材育成を専門とするコーン・フェリー・ヘイグループのシニア・クライアント・パートナー

読書に至ったキッカケ

今年の始まりから、仕事の都合で投資先の某アパレル会社に出向しているのですが、そこでの自分の上司にある日「なかなか良い本だからよろしければ」と、軽い感じで渡されたのがこちらの本でした。
上司から渡された本だから読んだ方がいいな、といういわば一種の責任感のようなものを感じながら読み始めた本でしたが、読み進めていくと今の自分がまさに必要としていたような本で、途中からはその上司にとても感謝しながら読んでいました。

要約

意思決定には「サイエンス」「アート」「クラフト」の3つの側面があり、それぞれ

サイエンス → 物事を理論的に分析し、言語化して再現性をもたせること
アート → 直感的に美しいと感じるものごと
クラフト → 過去の実績の経験値から帰納法によって導き出された知恵、知識

のように整理されています。

この本は、いかに現代の社会が「サイエンス」を重要視しすぎていて、またそれが及ぼす弊害について述べています。
勘違いしないように先に述べておくと、山口さんは「サイエンス」的な思考法に否定的なのではなく、むしろ肯定的です。
ただ、彼が懸念しているのは「サイエンス」への過度な偏重、そして「アート」に対する過小評価です。

サイエンス偏重になると、コンプライアンス違反などのリスクが高くなる

まず、MBAなどに代表される、経営に対するサイエンス的アプローチは、先述したように現象を理論的に分析し、合理的に整理し、言語化し、再現性を追求することにあります。
これはどのような結果を及ぼすかというと、最終的には同じメソッドを学習した人は、同じ「解」にたどり着く、つまり差別化できない普遍的な答えを皆が持つことにつながります。

皆が同じメソッド、思考法を持ち、そして問題に対する同じ「解」を持つようになった(正解のコモディティ化)としたら、差別化するには「スピード」を上げ、「コスト」を下げるしかありません。
これを続けると、どんどん身をすり減らして数字を追い求めることになり、終いには粉飾決算やデータ偽造などの原因となる、と山口さんは主張しています。

自分自身の「ものさし」を持つ

現代社会での「エリート」とは、すでに存在する与えられたシステムや組織の中で最高の適応能力を持っていて、自分の利益を最大化し、上手く生き残っていける人のことを指すことが多いです。
しかし、「システムに良く適応する」ということと「より良い生を営む」ということは全くことなることで、だからこそ「エリート」は美意識を鍛える必要がある、と山口さんは主張しています。

山口さんはユダヤ人虐殺後のアイヒマン裁判の研究などで知られるハンナ・アーレントを引用して
「悪とはシステムを無批判に受け入れること」
という言葉を紹介しています。

曰く、ナチスドイツにおける数百万のユダヤ人の逮捕、勾留、移送、処理のための効率的な仕組みを主導したアイヒマンは、裁判にて「私は命令に従っただけだ」と繰り返し抗弁したようです。
アイヒマンをはじめとする当時のナチスの人々にとっての正義は、所属する組織の中のルールに従うことであったわけで、原理としては20年以上にわたる三菱自動車のリコール隠しと同じとしています。

また、学歴的には超エリートな団体としてオウム真理教を紹介しています。
オウム真理教は、「修行のステージが、小乗から大乗、大乗から金剛乗へとあがっていくという非常に単純でわかりやすい階層を提示したうえで、教祖の主張する修行をおこなえば、あっという間に階層を上りきって解脱することができる」という構成をなしていたようです。
勉強すればするだけ偏差値があがり、偏差値によって階層が変わるという日本の受験エリートと仕組みは類似しています。

このような社会の中で起きがちなのは、「システムの是非を問わず、そのシステムの中で高い得点をあげることにしか興味がない」という状況に陥ってしまうことです。

そのような組織を極悪のリーダーによって引導されてしまったら、もしくは倫理のなっていないビジョンによって導かれてしまったら、悲劇につながってしまいます。

オウム真理教の場合は、この「極端な階層社会」と「極端な美意識の欠如」が上手く重なってしまいました。

小説家の宮内勝典氏によると、オウム真理教のメディア表現やオウム・シスターズの舞いなどは、とても「下手」であったらしく、またリサーチしたところによると、彼らには文学書の知識が全くなかったようです。

つまるところ、山口さんが言いたいところは、与えられたシステムの中だけで効率よく結果を出しているだけでは、いずれ破綻の道を歩むことになる、それを避けるためには、そのシステム自体を疑うための、自分自身の誠実性、自分自身の「ものさし」を持つことが肝要である。ということであると思います。

そして、その「ものさし」こそが結局はその人の「美意識」である、というのが彼のメッセージです。

ちなみに欧州各国のエリートたちは、高度なテクニック系の教育を受ける前に、まず土台として哲学を学ぶようです。

目まぐるしくわかっていく世の中のルール

また、現代における美意識を持つことの重要性として、「早すぎるシステムの変化」が挙げられています。

例としてDeNAの「コンプガチャ問題」などを挙げていますが、ようするに

1. シロとクロの間のグレーゾーンで儲けるビジネスモデルを構築する
2. 利益を追求するうちに次第にクロよりにシフトしていく
3. やがてモラル上の問題を世の中から指摘されると、謝罪して事業を中止する

という、法律に違反していなければ何してもよい(実定法主義と呼ぶ)ということが横行しているようです。

ここで気を付けなければならないのが、後だしジャンケンのように、事後に告発され有罪とされたケースが多発していることです。

自分がそうならないように、外部的に何がOKとされているか否か、という判断基準以外に、より内部的な「何が正しいか」という軸を持つことが大事ですね。

全てのビジネスはファッションビジネス化する

ここまでは、美意識をもっていないと反社会的な意思決定をしてしまうかもしれない、というより倫理的な側面から美意識の大切さを見てきましたが、ビジネスの側面からも美意識を持つことは重要であるということを見ていきましょう。

どんどん豊かになっていく今日の世界において、必要なものは全て簡単に手に入るようになり、消費者はどんどん自己実現的な消費志向に傾いていきます。

これはどういうことかというと、機能の面で差別化を図ることはどんどん難しくなっていき、勝ち残っていくためには消費者に「イケてる」と感じてもらえるかどうかにかかってくるということになります。

先ほど、正解のコモディティ化の話を少ししましたが、デザインやテクノロジーなどは、初めは差別化できて儲かるものではあっても、いずれはコピーされてしまうものです。

それに対して、ストーリーと世界観はコピーすることができません。

アップルの商品が売れる理由として、アップルというブランドに付随するストーリーと世界観を山口さんは挙げています。

世の中に認知されるためには「機能」「デザイン」「ストーリー」の3つが認知され受け入れられないといけない、と米国デザインイノベーションファームZidaの濱口秀司は指摘されていますが、このうち「機能」と「デザイン」はサイエンスによってコピー可能ですが、「ストーリー」だけはコピーできません。

そしてこの「ストーリー」や「世界観」の醸成にこそ、高い水準の美意識が求められる、と山口さんは考えてます。

これからは、倫理的な側面からのみでなく、ビジネスで成功するためにも高い美意識を持つことが重要になってくる、ということですね。

所感

まず、今回読んでいて個人的に面白いなと思ったのが、「サイエンス」が「アート」より過大評価されがちな理由です。

それは「サイエンス」と「アート」を面向かって戦わせると、必ず「サイエンス」が勝つからです。

特に、上層の人間が責任を求めれられる株式会社などであればなおさらです。

考えみればわかるのですが、説明を求められたときに筋道をおって意思決定の解説をできる「サイエンス」と比べ、「アート」側は「なんとなくそう思ったから」としか説明することができません。

自分も、そういった「サイエンス」の分かりやすさに心地よさを感じて、ここまで「サイエンス」よりの人生を送ってきた気がします。

また、成功している企業の経営陣は「アート」と「サイエンス」を両立している、という点も非常に興味深かったです。

もっというと、PDCAでいうPlanをアート型人材のCEOがし、Doをクラフト型人材のCOOが担当し、そしてCheckをサイエンス型CFOが行う、というのが理想形であるともしてます。

事例として、革新的なビジョンを打ち出し続けた弟ウォルトと、元銀行員の経験をいかして財政面・リーガル面で支援し続けた兄ロイのウォルト・ディズニー、ホンダの創成期を支えた本田宗一郎氏と藤沢武夫氏、またSoftbankの孫正義氏と北尾古孝氏の組み合わせなどをあげています。

ただ、それよりさらに面白いと思ったのが、

「アート」と「サイエンス」が個人の中で両立する場合、その個人の知的パフォーマンスも向上する

という研究成果に裏付けられた事実です。

その理由まではまだ突き止められていないようなのですが、この本を読んで、今後は今まで無視してきた自分の「アート」の部分を鍛えていきたい、と思わせてくれた本でした。
(最後に真面目にアートに取り組んだのは中学校の「美術」の授業…)

学校では統計学や数学を勉強し、卒業後はスポーツに励み、その後も投資業で考えることは数字を見て効率を上げることがほとんど。

ここにきて「アート」に真剣に取り組む。それはそんな自分に新しい刺激を与えてくれそうで、考えるだけでもわくわくします。

自分はいずれMBAに行くのかな、なんて周りを見ながらぼんやり思っていましたが、まさかのデザインスクールという道も見えてきました…!

応用

    1. 哲学の勉強
      外因に左右されない、自分のなかの「ものさし」を持つ、という観点でこの本でも紹介されていたのが、哲学を勉強することでした。フランスなどでは高校生のころから哲学を必須科目として学ぶのだとか…
    1. 山口周さんに会ってみる。
      この本には相当感銘を受けた一方、まだまだ疑問に思う点もあります。
      調べてみたところ、知り合いとつながってそうなので、つてを辿ってお会いして直接色々質問してみたいと思います。
    1. 美術作品に触れる
    1. デザインスクールに行ってみる??

1 Comment

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *