読録8 “岸見一郎×古賀史健 ~ 嫌われる勇気 ~ “

読書記録、略して”読録”第8号は岸見一郎さんと古賀史健さん著書の 嫌われる勇気 という本についてです。

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個人的全体評価: (4/5)
読みやすさメーター: (4.5/5)
語彙の難しさメーター: (3/5)
ドキドキメーター: (2/5)
新しい価値観メーター: (5/5)
難しさメーター: (4.5/5)

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語彙の難しさメーター:
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読書に至ったキッカケ

この本を購入した当時は、この本がアドラー心理学についての本であることを全くもって知りませんでした。

ただ、その強烈なタイトルを見て「周りの目を気にせずに自由に生きること」について書かれている本だと思い、興味を持ちました。

あと、行った本屋ほぼ全てでビジネス書の最前列に置かれていたので、まあ面白い本なのだろうと思って手に取りました。

そんな気軽な気持ちで買ったこの本、とても重かったです。。。

要約

フロイト、ユングと並び「心理学の三大巨頭」と称される、アルファレッド・アドラーの信者である”哲人”の書斎を、人生における様々な困難を前に迷走している”青年”が訪れ人生相談する、というセッティングで、約270ページにわたり会話形式でこの本は描かれております。

基本的には、”青年”が不満をぶちまけ、”哲人”がアドラー心理学の思想を用いながら青年に正しい道を示す、という流れです。

その中でも、アドラー心理学の思想があまりにも衝撃的すぎるので、”青年”もなかなか納得できず、逆に自分を否定されているように感じ激昂するも、次第に新しい考え方を受け入れれるようになっていきます。

では、アドラー心理学とはどのような思想のことをいい、そのどこが衝撃的なのでしょうか?

幸せになる唯一の道は「原因論」ではなく「目的論」

「原因論」とは、先述した三大巨頭の1人、フロイト的な考え方で、ようするに現在の自分の傾向性、行動は過去の「原因」によって決定されているという考え方です(自分はフロイトについて勉強したことはないので、あくまでもこの本が端的にまとめているフロイトの考え方です)

それに対して「目的論」は全く逆の発想で、原因があって結果があるのではなく、目的が先行して存在していて、それを実行するために都合の良いように過去の経験に意味を与えて解釈する、としています。

これはどういうことかというと、例えば本では引きこもりの少年を例としてあげていますが、「原因論」では何かしらのトラウマという「原因」があるから引きこもるという「結果」につながると考える一方、「目的論」では外に出たくない、または引きこもることによって注目を浴びたい、などという「目的」が先にあって、それを正当化するために都合よく自分の中で過去に受けたいじめなどを自分が臆病になった原因として「解釈」する、としています。

当事者からするとなかなか厳しい見方ですよね。

この「原因論」と「目的論」の決定的な違いは、前者は現在はすでに過去によって決定されていると考えるのに対し、後者は過去の経験に意味を与え、自分の選ぶように解釈するのは現在の自分であり、その解釈の仕方によって現在の自分は変わることができる、と捉え方によってはよりポジティブな思想である点です。

つまり、問題は「何があったか」ではなく「どのように解釈したか」であり、その「解釈」を「選ぶ」ことによってあなたの人生は変えることができる、もっというとあなたは自分の幸福を選ぶことができる、というのがアドラーの考えです。

そして人がなかなか変われないのは、楽をするために自らに対して変わらないという決心を無意識にしているからであって、本当は勇気があれば自分のライフスタイルは自分自身で選ぶことができるとしています。

それもあって、アドラー心理学は「勇気の心理学」であるとしています。

人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである

“悩みを消し去るには、宇宙のなかにただひとりで生きるしかない”- p.69

この世界に自分以外の誰も存在しなければ、すべての悩み事はこの世から消え去ると言っています。

例えば、孤独感というものも、他者がいてから成立します。

劣等感は、それ自身悪いものではなく場合によっては成長への起爆剤になると言っていますが、それが

「Aであるから、Bできない」
「学歴が低いから、成功できない」

などという劣等コンプレックスという、劣等感をある種の言い訳につか始めた状態になると、これもまた結局他者の価値観との比較の結果成り立っている対人関係の悩みになります。

また、優越コンプレックスといって、あたかも自分が優れているように振る舞い、偽りの優越感に浸っている状態も、つまり「他者から認められたい」という願望も、結局他者の価値観に生き、他者の人生を生きているだけです。

ちなみにアドラーは自慢とはつまり劣等感の裏返しで、自慢しないと自分を認めてもらえないという劣等コンプレックスを抱いている証拠、と言っています。

つまり、人生の悩みのほとんどは、他者を競争相手としてみなしているが故に生じている悩みだとしています。

これに対する唯一の解決方法は、他者を「仲間」として認識することだとアドラーはいいます。

承認欲求の否定

いったい対人関係の何が悩みを生んでいるのか?

先ほど述べた通り、それは周りの他者を「敵」として認めているからであり、「仲間」として認めていないからです。

ここでいう「敵」というのは、つまりその特定対象人物に自分を認めさせたい、から「敵」であるのです。

アドラーは承認欲求を明確に否定しています。それは他者の人生を生きることになるからです。

他者の期待など満たさなくて良いのです、というのがアドラーの考え方です。

なぜなら他者は「仲間」であって、認めさせるべき「敵」ではないのですから。

そしてそれを理解するには「課題の分離」という考え方を理解する必要があります。

「課題の分離」とは、言葉の通り自分の課題と他者の課題を分けて考えることです。

そして、対人関係のトラブルは他者の課題に介入することから、または他者が自分の課題に土足で踏み込んでくることから生まれるとしています。

これは「見返り」を求める対人関係も否定することになります。

「仲間」のために何かをしてあげるのは自分の課題であり、それの見返りとして何かをしてくれるのは相手の課題であって、自分のコントロール外です。

自分には他者を信じること、愛することしかできず、またそれだけで十分なのです。

共同体感覚

他人に認められることが幸せでないのであれば、幸福とは何なのか?

アドラーが「人生のタスク」として定義しているものがあります。

まず行動面の目標として

  1. 自立すること
  2. 社会と調和して暮らせること

そして、この行動を支える心理面の目標として

  1. わたしには能力がある、という意識
  2. 人々はわたしの仲間である、という意識

の2つをあげています。

この人生のタスクに立ち向かう勇気がないと、「仲間」は「敵」になり、対人関係の悩みにつながっていくということですね。

アドラーは対人関係のゴールは「共同体感覚」だとしています。

「共同体感覚」とは、他者を「仲間」だとみなし、そこに自分の居場所があると感じられることと定義しています。

そして、自らの主観によって「わたしは他者に貢献できている」と思えたときにこそ、自らの価値を実感できると言っています。

つまり、彼は「幸福」 = 「貢献感」– p.253 としています。

そして、この貢献というのは「仲間」に貢献したと実感できたその時点ですでに幸福を生むべきで、他者の承認をもって貢献できた、と納得するわけではありません。

それでは先ほどのアドラーの否定している承認欲求につながってしまいます。

アドラーは貢献感とは主観的なものであるべきで、自分が貢献できているという感覚を持てればそれでよい、と言っています。

むしろ、他者貢献とは自己犠牲ではなく、自分の価値を実感するためになされることである、とまで言っています。

そこで、また先述した「課題の分離」が必要になってきます。

あなたが貢献しているかどうか判断するのは相手の問題で、あなたが介入できることではないのです。

共同体感覚を得るためには

1.「自己受容」してありのままの自分を受け入れ

2.「他者信頼」して「仲間」を無条件に信頼し

3.「他者貢献」して自分の価値を実感することができ、「自己受容」できる

の3つを実践していくべきであると言っています。

応用

つい最近、自分は練習中にチームメイト用のドリンクが切れていることに気づきました。

しかし、自分は気付いたもののそれに関しては何も行動におこさず、そのまま練習を続けました。

その結果、休憩中チームメイトが飲む水はなく、猛暑のなか選手に疲労が残る原因となってしまいました。

わたしはチームのなかで一番立場が低いですし、でも自分がそこで自ら練習を中断して水を用意しにいくと、自分の立場がさらに弱くなるような気がして、結局見て見ぬ振りをしてしまいました。

ここで、アドラーのいう「他者貢献」の精神を持てていたのなら、違った行動を起こせていたかもしれません。

もっと承認欲求を満たすためではなく、他者貢献すること、その行為時点に喜びを覚えれる人間になりたいです。

そのために、日々小さなことから他者貢献をしていこうとおもいます。

まずは、今ルームメイトと同居しているのですが「部屋が汚くなってきたのに気付いたらきれいにする」ことから始めようとおもいます。

そうやって一番身近なところから徐々に初めていきます。

まとめ

とても長くなっていしまいましたが、

他者からの承認欲求を求めない

普通の自分であることを自己受容する

他者への貢献に幸せを見出す

ことへの「勇気」を持てれば人生が変わる、という考え方はとても自分にとっては新しいものでした。

さて、わたしは勇気を持てるのでしょうか? しかも、一度ではなく、半永久的にそれを続けられるのか?

この本では「アドラーの心理学を本当に理解して、生き方まで変わるようになるには、それまで生きてきた年数の半分が必要になる」といっています。

つまり、自分は23歳なので最短でも34-35歳までかかるということですね…

長っっっっっっっっ!(笑)

でも、それより気になったのが、このアドラーさんがフロイトの「原因論」などの考え方を否定していたことです。

フロイトさんも一応「心理学の三大巨頭」と仰がれているわけでありまして、それなりの理由があるはずです。

自分も一冊読んだだけで”哲人”のようにアドラー信者になるのではなく、フロイトとユングの心理学にも目を通した上で、自分にあったものを選んでいきたいとおもいます。

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