2日目は”土佐の洗礼”を受けバタンキューしてしまった自分ですが、特に二日酔いすることもなくこの日は朝から高知城博物館に行きました。
高知城博物館・高知城
ここ、3月4日にオープンしたばかりの博物館なのですが、相当面白かったです!
高知城の目の前にある博物館なのですが、高知城のことについてだけでなく、そもそも「城」とはいつ何のために造られ、時代とともにどのように進化していったのかを、図や写真を用いとてもわかりやすく説明してくれています。
城の歴史は縄文時代から弥生時代にまで遡りますが、このころ日本人は米作りをするようになり、1つの場所に居住み続けるように生活スタイルが変化しました。
このときに収穫した米などの農作物を貯蔵しておくために造られたのが、城の始まりであるそうです。
そのあと、平安時代になると城は役所の役割を持つようになり、また造りも中国の「都城制」の影響をうけ、城からまっすぐな道を通し大きな門をつくるようになりました。
昔は戦となると、名乗りを上げてから一騎打ちで勝敗をつけるのが主流でしたが、鎌倉時代になり元が攻めてくるようになると戦いのルールが変わり、一斉攻撃の総力戦で戦が行われるようになりました。
このときに城は柵や堀で防御を固めるようになり、石垣なども造られるようになりました。
そして戦国時代になると、地形を生かした「守りやすく攻めやすい」城造りへとさらに進化していきます。
安土城などが有名ですね。
高台の方が弓による攻防では優位にたてるため、山の頂上などに城が建てられるようになります。
鉄砲が出回るようになると、戦い方がまたガラリと変わり、平野での戦いが増えるようになりました。
そうなると山に城を建てる必要性もなくなり、また平地に城が建てられるようになりました。
そして、かの江戸幕府が登場し、反対勢力から権力を取り上げるため「一国一城令」を命じ、ほとんどの城は取り壊されてしまいました。
このときに、約200あった土佐の城は高知城を除き、ほぼ全て取り壊されてしまったようです。
面白いですね、城の歴史!
ちなみに、ほかにも城のウンチクを述べさせていただくと、例えば山城はだいたい左回りに登っていくように造られていれ、これは何故かというと弓は右手で弾くとき体の右後ろと背中側にスキができてしまうため、常に相手からむかって左側にいるほうが有利でいられるためであるそうです。
ほかにも、私はずっと城の石垣は全て石でできていると思っていたのですが、あの中身はほとんど土みたいですね。土でできた土台の外側を大きな石で固めてあるだけのようです。
納得。
ほかにも土佐藩にまつわる面白い資料がたくさん置かれていました。
例えばこの土佐藩の財務状況をあらわしたこのグラフ。
借金まみれであったという土佐藩の財政がとてもわかりやすく記されています。
参勤交代による出費が土佐藩に重くのしかかっていたようです。
というか、こんな資料よく残っていますね。どうやって割り出したんでしょうか…
また、この博物館の3Fからは、高知城がとても綺麗に見えます、おすすめスポットです!!!
博物館を出たあとは、そのまま高知城に向かいました。
博物館で高知城や城の造りについてたくさん勉強した直後でしたので、いつもとはちがった視点で城を楽しむことができました。
たしかに、階段は左回りに造られていました。
天守閣まで昇り、高知城下を見下ろしてきました。
高知城は、関ヶ原の戦いで石田三成側についていた長宗我部が敗れ、そのあと徳川家康の命により掛川から土佐24万石の統治をまかされた山内家が建てた城ですので、この天守閣から山内一豊だったり容堂が城下町を見下ろしていたわけですね。
写真を見るとわかるように、高知市は山に囲まれています。
聞くとこによると、高知県の約8割は山であるそうです。
山脈がとても険しいため、昔から山を越えた伊予(愛媛)より、海の向こう側にある九州との交流のほうが盛んだった、なんて話を聞きました。
また、太平洋側に面しているため、津波や台風などの天災も四国ではすべて高知県が被るのだとか。
愛媛や香川にくらべ、幾分か住むのが大変な土地のようです。
GDPが国内最下位である高知県、若者の外部流出が止まらない理由の一つにこの天災の多さが関係しているのかもしれません。
和霊神社
おいしい昼食を挟んだあとは、坂本龍馬の先祖が建てたという和霊神社に参拝しに行きました。
才谷屋を経営し、当時は下士のなかでも割と裕福であった坂本家が所有していた、と言われる山を数分登っていくとあります。
神社といえるほどの建物じゃないよ、と聞いていましたが、実際に行ってみるととても小さく、いつ壊れてもおかしくないようなボロボロの木造建築物でした。
坂本龍馬が土佐藩を脱藩したときに、ここで龍馬の一家が坂本龍馬の無事を祈ったという逸話が残っていることから、現在でも坂本龍馬の脱藩記念日はここで毎年行事が行われるようです。
坂本龍馬もなんども訪れたであろう和霊神社、しっかりお祈りしてきました。
自由民間記念館
和霊神社でお祈りを終えたあとは、自由民間記念館に行ってきました。
この記念館、とても立派な建物で、中も広々としていました。
この記念館では、板垣退助などを中心に起こった明治初期の自由民権運動を詳しく解説してくれます。
100円札の顔になった板垣退助は、自由民権運動の主導者として国民的に有名な人物ですが、彼も土佐出身だったのですね。
恥ずかしいことではありますが、アメリカにいたこともあり今まで日本史をあまり勉強してこなかった自分は、自由民権運動なんて言葉を聞いたのは中学校2年生以来で、板垣退助という人物が何を成し遂げた人であるかさえ知りませんでしたが、この日は色々と明治初期の日本のことについて知ることができました。
自由民権運動とは、要するに民間の意見を政治に反映させよ、そのために民間が選ぶ民選議院や国会を設立せよ、と政府に訴えかけた運動のことです。
坂本龍馬をはじめとした志士の活躍により1867年大政奉還が実現し、王政復古で朝廷に政権が移ったものの実質の権限は幕府が握ったままであったわけで、戊辰戦争が勃発。
武力による倒幕を阻止しようと必死に全国を飛び回った龍馬の努力もむなしく、結局権力をめぐる戦争がおきてしまったわけですが、そこから1889年に大日本帝國憲法が発布されるまでの流れについても、もう一度勉強し直さなければならないな、と思いました。
また、自由民権記念館にいて驚いたことは、坂本龍馬に代表される偉人がリードした幕末、板垣退助に代表される土佐人がリードした明治初期と、土佐がこんなにも日本を引っ張る存在であったことです。
正直、今回高知県にくるまで、高知は四国の一県で、日本のなかでも言い方悪いですが”存在のうすい県”である、というのが自分の高知県に対する認識でした。
しかし、約150年前まではここ高知が四国から日本を動かしていたとは、自分には驚きでした。
先述した通り、現在では経済的にもすっかり元気をなくしてしまった高知県、あれから150年間の間に何があったのだろう…
そんなことを考えてしまいました。
神谷・カズヤ講演 懇親会
この日の夜は、ここまで大変お世話になっていた神谷さんがもともと今回高知県に来るきっかけとなった講演イベントに参加してきました。
カズヤさんは、YouTubeで政治や歴史について毎日3分間の動画を投稿しているYouTuberで、ニコニコ動画と合わせるとすでにフォロワーは40万人を突破しているとのことです。
神谷さんも同じくオンラインで歴史教育を提供していたこともあり、必然と2人は知り合い、そして意気投合。
全国48都道府県を回って講演をする、というチャレンジをしており、すでに20県以上回った、ということでした。
この日も、神谷さんとカズヤさんファンをはじめとした30人ほどが集結。
質疑応答も交えながら、フリースタイルで高知県の政治のことについてや、日本の今後のことについて2時間ほど講演してくださいました。
2人とも、日本の学校が教えている歴史がいかに本当の日本史から乖離しているかに気付き、本当の日本史を既存のメディアに頼らない方法で発信している、という点で共通しています。
自分が特に印象に残っているのは神谷さんの留学時代の話で、村からの支援を受け中国から来ていた留学生に「きみは日本をどのような国にしたいと思っているんだい?」と質問され頭が真っ白になってしまった、という話。
「日本をどのような国にしたいと思っている??」
自分も普段あまり考えないことですが、それこそ坂本龍馬をはじめとする150年前の幕末の志士たちは、真剣に自分たちの力で将来の日本の姿を描いていこうとしていたことでしょうし、神谷さんの話ですと他国の人たちはみな真剣に考えているようです。
その一方、日本は多分自分を含め、多くの若者たちがこの質問に対する明確な答えを持っていないと思います。
しかし、いざ日本に危機が迫った時に考えているようでは遅い、ということが今回の話を聞いてよくわかりました。
日本の将来を考えるためには、まず今の日本がどのようにして成ったのか、どんな思いで先祖たちがこの国を今日の日まで作ったのかを知る必要があります。
過去、現在、未来は連続しているものですので、未来を創っていくためにはまず過去を知り他国との関係性を知る必要があることを痛感しました。
今からでも遅くないですし、より一層日本のことを知りたいと思えました!
自分は日本人として日本をどんな国にしていきたいか?
自分はサッカーを引退し、仕事を始めようとしているところですが、この質問を胸に抱きながら自分の進路を決めていきたいと思います。
その後の懇親会では、高知の人たちと楽しく会食できました。
この日もさすが土佐人、お酒飲みまくりでした笑
自分もまた献盃・返盃をやらされやらせていただき、結構な量のアルコールを摂取していまいました。
自分、すでに高知県を大好きになってしまっていましたが、ここには住めないな、と思いました笑
死んでしまいます。。
土佐の人がいかに酒を大好きかというのがよくわかる面白い話があったので紹介すると、となりにいたおじさんにこんな話を聞かされました。
「人というのは、初対面の人とはなかなか打ち解けることができないもんで、10回ほどあって初めてお互いの懐を見せれるようになるもんだ
しかし、その10回を1回にする方法がある。
それは、一緒に美味しいものを食べながら会話すること。
だけど、実は100回を1回にする方法もある
それは…
酒を飲むことじゃ!!
さあ、飲め飲め!」
と、やけに説得力のあるおじさんの口車に乗せられ、この日も酒に飲まれてしまいましたとさ。
しかし、もともとは一人旅を計画していたこの高知旅行。
気づいたら様々な人に助けられ、地元の人に高知県を紹介され、この日は土佐人30人に囲まれお酒を飲むことができました。
おかげさまで、とても楽しい旅となってます! 皆さんに感謝です!!