読録13 “齋藤孝 ~ 福沢諭吉語録 ~ “

読書記録、略して”読録”第13号は齋藤孝著書の 福沢諭吉語録 という本についてです。

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個人的全体評価: (3.5/5)
読みやすさメーター: (3.5/5)
語彙の難しさメーター: (3.5/5)
ドキドキメーター: (3/5)
新しい価値観メーター: (4/5)
難しさメーター: (2.5/5)

この本に自分でタイトルをつけるならズバリ: 福沢諭吉 – 日本文化の父

読書に至ったキッカケ

1つ前の読録(夏目漱石の坊っちゃん)からお札シリーズの続編というわけではないですが、福沢諭吉の本が目にとまったのは東京の本屋にぶらりと立ち寄ったときでした。

最近読み始めた齋藤孝さんの著書であることと、福沢諭吉という一万円札の顔になるほど日本で功績を残した人が何者であったかを実はなにも知らず、このままでいるのは日本人として恥ずかしいと思ったので購入しました。

要約

この本は、題名にもある通り福沢諭吉がこの世に残した数々の名著から齋藤孝さんが現代の人間にとっても素晴らしい教訓になると感じたものを100通り抜粋して、解説付きで紹介しています。

そのうちのいくつかをここで紹介します。

人間は学問で差がつく

福沢諭吉は「学問のすゝめ」を書いたことで有名ですが、そこに記されていることの1つがこの「人間は学問で差がつく」ということです。

福沢諭吉は、後にも述べるように開国後西洋的な思想や文化を日本に持ち込んだ第一人者なのですが、国民の権理(権利ではなく権理という書き方を福沢諭吉はこのんでいる。権利は利用するものではなく全人類に公平に与えられている理、ことわり、であるがゆえ。)という今では当たり前の価値観も福沢諭吉以前は日本ではあまり浸透していなかったようです。

天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと云えり

彼は人間はみな平等に生まれる、と説いている一方、人間は学問をしたかどうかで「不平等」になり得る、としています。

義務教育の親

福沢諭吉といえば、慶應大学の創立者としても有名ですね。

少し話がずれますが、やりすぎ都市伝説という番組で以前、オリエンタルラジオのPerfect Humanこと中田が1万円札が福沢諭吉であり続ける理由について語っていましたが、なかなか面白い都市伝説なので興味がある人は見てください。


https://www.youtube.com/watch?v=Tp8wXNfELMw

さて、そんな福沢諭吉ですが、作ったのはなにも慶應大学だけでなく、なんと義務教育そのものを最初に提唱した人物でもあるようです。

先ほども触れた「西洋事情」という1866年に刊行された作品は、彼が実際に欧州に渡り見聞したものをまとめたものなのですが、開国まもない当時の日本ではこれがベストセラーとなり、多大なる影響を与えたと言われます。

そんな「西洋事情」で彼が紹介した多くの新しい価値観の1つが「6、7歳になったら、誰もが小学校に入るべし」という、今では当たり前となった義務教育です。

またその他にも、例えば株式会社という会社の形態を日本に持ち込んだのも福沢諭吉の「西洋事情」です。

彼がいないと現在の日本の義務教育や株式会社はなかった、とまでは言いませんが、鎖国で世界の流れから置き去りにされていた日本が急速に追いつけたのは福沢諭吉という人物の存在が大きかったのは間違いないでしょう。

子どもには勉強より、まず体育

智財徳健 – 福沢諭吉は民権を張るために必要な4つの資質として智力、財力、品行私徳、そして身体の健康腕力をあげています。

そのなかでも、何事をするのにも必要な身体の健康は第一の資本であるとし、子どもにはまずは体力をつけさせるべきだと論じています。

筆者の齋藤孝さんは「腰肚文化」を推奨したりなど、身体についての本をいくつか執筆してるのですが、福沢諭吉の影響を受けていたのかもしれませんね。

士君子たる者は居るにその処を撰び、交わるにその人を撰ぶ

「場が人を決める」という考えです。

人は周囲の色に染まりやすい生き物であり、環境を自ら選ぶことは自己形成上、非常に大切なもことであるとしています。

能力の向き・不向きを極める

教育者の仕事は、師事する者の天性として持っている能力を発見し、それを伸ばしてあげることだとしています。

福沢諭吉は弱みを修正するのではなく、強みを磨くことを推奨しています。

習慣久しきに至れば第二の天然と為り

習慣を変えれば、新しい資質が育ち、やがてそれが自分の一部となりえる、と言っています。

これはとても前向きな考え方ですね。

何か新しい自分を手に入れたければ、習慣化すれば良いわけですね!

ただ、その習慣化するというのが一番難しいのですが…

欲は大きく

福沢諭吉は大きな欲を持つことは、結局社会の快楽を増すことにつながる、という理由で肯定しています。

大きな利益を得る、ということは大抵の場合社会に大きな貢献をせずして成し得ないことであるので、Bigになるという野望をむしろ激励しています。

短絡的な思考に陥らない

会社などの組織では部下や若い輩が上司や会社のやり方に不満を持つことがよくあります。

でも、福沢諭吉はわかっていないのは実は若い人の方であるケースの方が多いと述べています。

若い人や部下の方が経験が少ない分、複雑に絡み合っている事柄の関係性を単純にしかとらえることができず、俯瞰することができない結果、何事も短絡的に結論づけてしまうからである、としています。

フェミニストの一面

福沢諭吉は、国内におけるフェミニズムの先駆者でもありました。

「日本婦人論」や「女大学評論」といった名著を残し、男性による女性の軽蔑を非難しました。

男女同権を唱え「結婚したら女性が男性の苗字を名乗るのはおかしい、山原さんと伊東さんが結婚したら苗字は間をとって山東さんとするべきだ」と、これまた斬新なことを述べるほどでした(笑)

また、「女大学」とは江戸時代の中期以降広く普及した女性のための教訓書であるのですが、この教訓書は男性に都合のよいように書かれており、男女不平等文化を促進させるものでした。

例えば「女大学」は①姑に従順に仕えない②子供ができない③淫乱である④嫉妬深い⑤悪い病気がある⑥おしゃべりである⑦盗み癖がある、の7つを「七去」と呼び、夫が妻を離縁できる理由として正当化されていました。

しかし福沢諭吉は、例えば子供ができないのは男性にも理由があるかもしれないじゃないか、おしゃべりかどうかに基準はない、など1つひとつに反論しました。

現代の日本でも男女平等はまだまだ確立されているとは言い難いですが、福沢諭吉は少なくともその理想を目指し公言していました。

人は上機嫌な人のところにあつまる

「人の顔色は猶家(なおいえ)の門戸の如し、広く人に交わりて客来を自由にせんには、先ず門戸を開いて入り口を洒掃(さいそう)し、兎に角に寄り付きを好くするこそ緊要なれ。」

人の顔は家の門のようなもので、玄関がきれいに掃除されていて気持ちのよい家に大勢の客が訪れるように、笑顔でいると千客万来の人付き合いができると力説しています。

人生は半苦半楽

福沢諭吉は人間世界は交易の主義と形容していて、苦労せずして幸せにはなれない、No Pain No Gainだと言っています。

つらいときに励みになる言葉ですね。

所感

齋藤孝さんが紹介した福沢諭吉の語録を”いくつか”だけ紹介するつもりが、11個も取り上げてしまいました。

それほど、自分も共感できる教訓が多かったということですね。

数ヶ月に1回読み返して、自分の人生の針路を正したいです。

応用

  1. 「人間は学問で差がつく」ということで、今続いているこの読書の習慣はいかなる状況にあっても続けていきたいと思います。今は1ヶ月に7冊くらいのペースで読めていますので、それを最低ペースとします。
  2. 「人の多欲も亦(また)その功徳大なりと云うべし」ということで、欲は大きく、夢は大きく、Bigになることを恐れずいきていきたいと思います!
  3. 「人の顔色は猶家の門戸の如し」ということで、どんなに落ち混んでいるときも人前では気持ちを切り替えて笑顔だけは絶やさずに生きていきます。どうせ人生「半苦半楽」、大きな幸せを手に入れたければ大きな苦労でレベレッジを効かせなければいけません。苦労は成長のための肥料だと思っていれば、苦しいときも笑顔になれそうです!

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