読録11 “土居健郎 ~ 甘えの構造 ~ “

読書記録、略して”読録”第11号は土居建郎著書の 甘えの構造 という本についてです。

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個人的全体評価: (2/5)
読みやすさメーター: (1.5/5)
語彙の難しさメーター: (3.5/5)
ドキドキメーター: (2/5)
新しい価値観メーター: (3.5/5)
難しさメーター: (4/5)

この本に自分でタイトルをつけるならズバリ: 日本人の心情は「甘え」ひとつで全て説明できる!!

読書に至ったキッカケ

タテ社会の人間関係を読むきっかけになった、菊酔いを作る青島酒造の青島孝さんとの出会いについては、読録10で触れました。

彼に日本人としてのアイデンティティーを再確認するためにと、本を2冊勧められましたが、そのうちの1冊が読録10で紹介した、中根千枝著書のタテ社会の人間関係、そしてもう一冊がこの「甘え」の構造でした。

300ページほどある本だが、自分に合わなかったので最初の100ページしか読んでいません。

要約

1950年代にアメリカに勉学のために渡った精神医学者である著者が受けた、衝撃的なカルチャーショックを通し、日本人にしかない「甘える」という感覚を通じて実は日本社会の人間関係のほとんどを説明することができる、といったことを説明している本。

甘える = 一方が相手は自分に対して好意を持っていることを認識した上で、それにふさわしく振舞うこと。

と土居さんは定義しています。

そして、「すねる」「ひがむ」「ひねくれる」「うらむ」「たのむ」「とりいる」「こだわる」「気兼ね」「わだかまり」「てれる」などという心情はすべて「甘える」という日本人特有の心理を通じて説明することができるとしています。
(例:たのむ とはつまり 甘えさせてください という心情と同一である)

また「義理と人情」「罪と恥」「他人と遠慮」などという人間関係も「甘え」によって生じているとしています。
(例: 義理だったり人情であったりは、結局好意をひきとめたいという心情の表れであり、これはまさに「甘え」である)

所感

日本人の人情は、日本語によって制限されていると著者は述べています。

これはとても面白い意見で、たしかに言語によって表現方法は違ってきますし、限られてきますので、人種ごとに表現の範囲は限定されます。そして日本人は「甘える」という心理を円心にその範囲が決まっているということを著者は言いたいのであろうと思いました。

気になった一文は

日本の社会ですべて上に立つものは、周囲からいわば盛り立てられなければならないという事実が存ずるが、これも同じような原則を暗示するものである、いいかえれば幼児的依存を純粋に体現できるものこそ、日本の社会で上に立つ資格があるということになる。素直ということが古来最高の美徳としてもてはやされていることは、この点を裏書きするものといえるであろう

これは、思い当たるところがいくつかあり、例えば大学時代に働いていたラーメン屋さんの店長なんかはまさにこの典型であったと思います。

部下に頼ることができる、甘えることができる人間の器が、日本におけるリーダーには求められているのだなと勉強になりました。

応用

今後、アメリカ人などの外人と付き合うときは、彼らには「甘える」という概念がないことを認識して関係をつくっていきたいと思います。

それは例えば、「言わなくても俺のためにやってくれるだろう」なんていう甘ったれにはならずに、ちゃんと頼るときはその旨を伝える、ということです。

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