露出狂とかけまして、夢と解きます。 その心は…?

どちらも「はかない」。

はい、こんにちは。

え? 別に病んでませんよ。

ちょっと夢破れそうで、悩んでるだけです。

悩んでるのは病んでることではありません。

悩んでるのは、解決策を模索中という状態のことで、病んでるのは考えることを停止して自分を憐れだと思い込んでいる状態のことです。

自分は前向きに悩んでいるだけなので、とてもポジティブです。

ただ、夢って儚いものだなと。

あ、ちなみに、服はちゃんと着てます。

さて、皆さんジェンガはご存知ですか?

あのホームパーティーとかでやると盛り上がる遊びです。

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1段3列のブロックが積み重なっている塔があるのですが、この塔が倒れないように、1個どこかから(ただし上3段くらいを除く)ブロックを引き抜き、そして倒れないように頂上に積み上げていく、という動作を順番に繰り返していきます。

そして、塔を崩してしまった人が負けというゲームです。

このゲームをプレーする上では、ブロックを引き抜くとき、いかに塔のバランスを崩さずにブロックを引き抜けるか、が鍵になります。

これはつまり、いかに他のブロックの重量がかかっていないブロックを見抜くことができるか、と言い換えることもできます。

他のブロックの重量がまったくかかっていないブロックは、指の先で押しただけで簡単に抜くことができます。

逆に、他のブロッグの重量が重くのしかかっているブロックは、軽く押しただけではピクリとも動きません。

他のブロック達を支えているから、このブロックがなくなってしまうと、そのブロック達は困ってしまうのです。

ですので、プレーヤーがそのブロックを弾き出そうとすると、いっきに体重をかけて否が応でもそれを阻止しようとしてきます。

そして、もし無理にそれを引き抜くと、あーーーーー

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塔は崩れてしまいます。

ところで、このジェンガの塔、下の層にいけばいくほど重量のかかっていないブロックを見つけるのは困難になっていきます。

これは下にいくにつれて、上のブロックの数が多くなり、支えるブロックの質量が大きくなるからですね。

この下の方のブロックを抜くと、塔は一気にアンバランスになるので、ゲームを長続きさせるためには下の方のブロックにはゲームの終盤になるまでなるべく触れないのでおくのが鉄板です。

まあ、でも意地悪なプレーヤーはいきなり下の方から攻めたりするんですけどね。。

自分というジェンガ

ここで、自分という存在をジェンガに例えてみましょう。

上の方に積み上げられているジェンガブロックは、自分にとって新しい物、価値観などになりますでしょうか?

最近積み上げられた比較的新しく、特に今突然なくなっても自分というアイデンティティーの損失にはつながらないような自分にとっては枝葉末節なものたちです。

中層~下層に位置するのは、自分の中でもわりと大きな部分を埋めていること。

または生活する上で、無くなると少なくはない影響を及ぼすであろうもの。

たとえば、生活習慣であったり、お金であったり、仕事であったり、影響を受けた本、音楽、映画であったり。

ある程度重要ではあるけれども、なくなっても自分というジェンガが即崩れてしまうわけではないブロックがこの層に属しています。

そして、一番下の層。

ジェンガには1段に3列あるのですが、塔のすべての重量を支えているその3ブロック、それは「徳」「仲間」そして「夢」だと個人的には思っています。

「徳」とは、別の言葉を代用すると人格といいますか、その人の人間力のことを総括して「徳」と呼んでいます。

「仲間」とは、どれだけの人と信頼関係を築けていて、愛し愛され、甘え甘えられることができているか、ということです。

そして「夢」とは、目標、人生のテーマ。これも自分を形成するとても重要なピースだと感じています。

ところで、先日、小林寛生というジェンガの最下層を指でグイグイ押してくるプレーヤーが突如現れました。

県議会議員のK氏という、私がとても尊敬している偉大なお方なのですが、彼は私の「夢」というブロックに指を当て、グイグイ押してくるのです。

私の夢は、このブログでも紹介した通り、ハーバード卒Jリーガーにまずはなって、その後その経験を活かし日本サッカー界が世界に誇れる産業になるようにするための仕事をすることです。

しかし、彼は一歩深く踏み込んで、なぜハーバード卒Jリーガーになることにこだわっているのか聞いてきました。

ユニークでいたかった

自分の中では、もちろんサッカーをプレーするのが喜びであるからだということ、将来サッカービジネスをするときに選手としての経験と視点があれば見える景色とやれることの幅が広がるだろうと仮定していること、そして最後に今まで誰も成し遂げたことがないことを成し遂げることによって、誰も歩いたことのない人生を歩みたいという3つの主な理由がありました。

でも、少し考えてみると自分の中で一番大きなウェイトをしめていたのは、3つ目の誰もやったことがないから、というファクターでした。

自分はサッカーをするのはもちろん大好きで、ボールを蹴ってるのが単純に好きなやつですが、正直ここまでサッカー一筋の人生を送ってきた人たちと比べて、自分はもっと又は同じくらいサッカーのことが好きかというと、100%の自信をもってYesとは言えません。

将来サッカービジネスをしたいというのは心の底から思っていますが、これもどちらかというと自分の中では近い将来より、その先にしていたいことであって、これは正直なところ今後変わるかもしれない、変わっても良いものだと思っています。

結局は、今誰も成し遂げたことがないことを成し遂げることになって、ユニークであってOnly Oneな存在になって、自由な人生を送りたかったんだと思います。

つまり、本質はサッカー選手になりたかったのではなく、ただスペッシャルでいたかっただけかもしれないのです。

そこの部分をK氏は見破ってきました。

そして、「ユニークになりたいと思っているうちはユニークになれない。だってその発想自体が全然ユニークじゃないもん。みんなそう思ってるよ?」

とピシャリと言われてしまいました。

K氏はさらに続けます。

「ユニークっていうのは、替えがきかないということ。それはつまり、多くの責任を背負っているということ。今の君は何の責任も背負ってない。責任のない夢なんて、社会的価値がない。」

ハーバード卒Jリーガーになりたいと宣言したのは、Jリーグエンタープライズさんでインターンシップをしたときに川淵さんと出会い、そして彼の「一度選手を目指してみろ、見えることもやりたいことも変わるから」という言葉をいただいたのと、その数ヶ月後ボストンの夢を語れというラーメン屋で働き始め、自分の夢とはじめて向き合ったのが始まりでした。

あれから4年が経ちます。

その4年間の間に、ハーバード卒Jリーガーになりたいという私の「夢」というブロックは、ここまで私という人間の大部分を形作り、そのブロックの上に、

勉強と両立させながら練習に励んだハーバードでの日々や、

卒業後就活もせずに馴染まないSeattleのはずれにあるKitsapという町でサッカーキャリアをスタートするとした覚悟、

毎朝4時半に起きて始発電車に揺られ日体大の朝6時半からの練習に参加させてもらった日々、

そして現在も朝と夜の2部練習など

多くの「経験」という名のブロックを積み重ねてきました。

しかし、その「経験」の土台となっていた「夢」というブロックをK氏が押すものですから、私はひとたまりもありません。

グラグラ

さらに、追い打ちをかけるように「もっと責任を負わせてもらえる人間を目指せよ君、なんでもいいから」という重いブロックを積み乗せてきました。

グラグラグラグラグラグラ

危ない!!!

危うく崩れかけてた自分というジェンガ塔を間一髪のところで救ってくれたのは、その日の帰路のドライブ中ずっと隣で慰めてくれたルームメイトであり、自分のことを応援してくれている家族や友人であり、「仲間」ブロックでした。

「夢」ブロックを抜かれ、「社会人失格」ブロックを積まれ、塔が傾いた分「仲間」ブロックと「徳」ブロックに重心が振れますが、「徳」はさておき「仲間」ブロックに今は支えられているのだと自覚しています。

組織というジェンガ

時に、責任を負うとはどういうことでしょうか?

K氏は責任は負うものではなく、負わせていただくもの、だと言っていました。

「責任を負わせてください。」

「はい、どうぞ。」

と二つ返事でことが進むわけではありません。

責任を負わせてもらえるようになるには、この人には任せても大丈夫だ、と信頼してもらえるような人になることが前提です。

では、その信頼感をどう勝ち取るか?

これには、小さなことから、そして他の人が面倒くさがったり嫌がったりと敬遠するものから、ようするに「余り物」から自分が率先して、気遣いと思いやりの精神をもって、引き受けていくことだと思います。

そして、それを徹底的に、継続的にこなす。

それを積み上げていくしかないと思っています。

信頼とはそうやって徐々に勝ち取っていくものでしょう。

こうやって書いているうちに、実は組織だったり責任というのもジェンガのようなものだな、と思い始めました。

今の自分は指で押すと特に抵抗なくするりと抜けてしまう上の方のブロックかもしれません。

自分はチームにはまだ契約選手として認められていないので、ずっと練習生扱いです。

勤めている会社も、午前と午後はサッカーをしているので、午後にちょっと働いているだけです。

そのような状況のなか、今は与えられてる最低限の仕事をこなしているだけで、正直自分が明日いなくなってもどっちの組織でも別段困ることはないと思います。

それを、少しずつでもできることから毎日やっていけば、自分にもブロックの重量をちょっとずつ分けてもらえるようになり、簡単には引き抜けなくなります。

ジェンガでも、別に下の層に位置しているわけではなく、割と上の方の層にあるのに、押してもなかなか抜けないブロックがあったりします。

逆に、下の層にいても、実は重量があまりかかってなく、意外と簡単に抜けてしまうブロックもあります。

これは、組織の中でも役職と実際に与えられている責任や信頼は比例しているわけではないということをうまく表していると思います。

下っ端でも、多くの責任をもって、上のブロック達にとっては、なくてはならない存在になることはできます。

そうやって徐々に責任という重量を与えられ受け止めれるようになれば、いなくなると全体が崩れて機能しなくなるような、替えが効かないような、つまり特別でユニークな存在になれるのかもしれません。

そして、それがチームや会社規模でできるようになると、今度は社会規模でできるようになる。

そういう意味では、県議会議員であるK氏は、何万人もの投票を得て、何万人分ものブロックの重量を支える責任を与えてもらって、その県にとってはなくてはならない存在になっているといえます。

そう考えると、とても大きく見えます。

最後に、ここまで自分や組織をジェンガに例えて話を進めてきましたが、ジェンガにあって自分や組織にはないものがあります。

それはジェンガにおける「ブロックの質量保存の法則」です。

ジェンガでは、1ブロック積むためには1ブロック抜かなければなりません。

ブロックの総数は常に一定なので、塔を高くしていくためには、下の層のブロックを犠牲にして行かなければなりません。

しかし、自分というジェンガを組み立てていく上で、ブロックの総質量は一定ではありません。

新しい知恵や経験、仲間、夢を自分に足していく上で、何かを犠牲にして「抜いて」いく必要はありません。

犠牲にする(というか投資する)のは時間だけです。

そういう意味では、自分というのはジェンガというよりも、「クリスマスツリー」みたいなものかと思います。

クリスマスツリーって、とにかく沢山の装飾物を付けて飾りますよね。

付けていい飾りの数に限度はありません。

しかし、重すぎると枝が折れたり、幹ごとボキッと折れてしまうこともありかねません。

それでも、たくさんの飾りを付けたいときにはどう解決すればよいのか?

それは、ツリーを丈夫にし、大きくすることです。

丈夫な幹を持つ大きな木には、たくさんの飾り物を付けることができます。

器の大きい人には、たくさんの責任を負っていただくことができます。

その分、輝いて見えるものです。

つまりは、自分は将来的には…

ロックフェラーセンターのクリスマスツリーになりたい!!

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あ、でもまだ9月でした。

先にハロウィーンでしたね。

はいオフサイド。

今年は何に仮装しましょう…

面倒くさいから、衣装なしで今年は行きます。

つまり、今年は衣装を「はかない」!

お、ちゃんと締めには文頭の謎かけをもってきましたね、さすが!

え、でも衣装は「履く」ものではなく、「着る」ものだから、それは無理やるすぎるって?

たしかに…

それでは、もうこのBlogでは今後一切今日みたいな弱音は「はかない」!!!

これでどうだ!?

みたいな?

はい、締まんないですね。

次のPostまでに謎かけ鍛えておきます。

それでは

※追記

結局、最終的に何が言いたかったというと、明日からまず責任をもって、練習場の倉庫を毎回ピカピカに整理整頓します!

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