読書記録、略して”読録”第10号は中根千枝 著書の タテ社会の人間関係 という本についてです。
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読書に至ったキッカケ
先日【菊酔い】という日本酒を作っている青島酒造というところで専務をされている方と出会う機会がありました。
彼はとてもユニークな人生をここまで送ってこられた方で、彼の話は毎回とても面白く、とても引き込まれるものがあります。
酒造一家に生まれてきたものの、もともと海外志向が強く大学時代は長期休暇が訪れるたびに主に欧州の国をバックパッキングしてすごしたそうです。
大学時代は経済を学んでいたこともあり、大学卒業後は酒造の跡取りにはならず、世界を相手に仕事をしたいとのことから証券会社に入社、ウォール街でも働きました。
その後MBAを取り、選んだ職業は意外にも父の酒造を継ぐこと。
なぜアメリカの証券会社で働き、MBAを取り、金融界でさらなる飛躍を遂げようというときに、父の酒造を継ぐことに決めたのか。
そこには、海外を知り、海外で生活をした彼にだからこそ見えた、日本の美しさ、そして彼の日本人としての自覚が関係していました。
そんな彼と初めてお会いしたとき、海外生活が長い私に【自分のアイデンティティーを確立すること】の大切さを説いてくださりました。
アメリカと日本のどっちにもつかない、ふらふらしたアイデンティティーを持っているより、どちらかに根を張り、そしてもう一方のいいところを取り入れ、使い分ける。
それでこそ本当の”二刀流”になれる。
そして、私がもし日本人として生きていくことを決めたなら、日本人としての国民性、アイデンティティーを知るために是非読んでほしい、と勧められた本が タテ社会の人間関係 でした。
要約
資格と場
社会構造(Social Structure)の構成の原理は①資格と②場の2パターンがある
資格: 氏・素性といった生まれつきの属性から、学歴・地位・職業などのように、生後獲得したもの、資本家・労働者、地主・小作人など経済的なもの
例: 特定の職業集団、一定の父系血縁集団、インドでいうカースト集団など
場: 一定の地域や所属機関など、資格にとらわれない「枠」によって構成されている集団
例: 会社、大学、家など
このうち、日本の集団意識は「場」によって強調されており、インドなどの国は「資格」によって強調されている。
これは例えば日本人は自分を紹介するときに、「エンジニアの○○です」ではなく「○○会社の○○です」といって、自分の職業より自分が所属している「場」を強調することや、また他家に嫁いだ血を分けた娘や姉妹より、よそから入ってきた妻の方が社会的に重要なものになりえることに表されている。
これが例えばインドでは、よその家から来た配偶者より、兄弟姉妹の関係の機能の方が死ぬまで強くつづくらしい。
「場」によって構成される集団に求められる全面的参加
同質性の資格を持たない集団に一体感をもたせるため、「場」によって構成される集団では外部に対しては敵対心(ライバル心)を、そして内部のものにたいしては情的な結びつきを求める。
集団の構成は、所属する1人1人の個人同士のこの情的な結びつきという感情的なアプローチによって支えられており、これは多くの場合公私が混同するほどの全面的参加を促す。
会社という組織でも、経営者と雇用者の仲は契約(contract)関係というよりも、感情的で「家族的」である。
よって招来されるのが、社宅生活・従業員家族慰安会・結婚/出産その他の慶祝金・弔慰金の制度などに現れる、家族ぐるみの雇用関係である。
そして集団が「場」によって構成されている社会では、複数への集団への所属がとても難しくなる。
単純に人は同時に2つの「場」に身を置くことはできず、他の「場」に行くためにはまずはその「場」を離れなければいけないからである。
【直接接触的な人間関係】 … 人間関係の深さ = 関係の長さ × α(就職のタイミング)
終身雇用の日本の社会がそれをよく表しているが、人間関係の深さは、関係の長さに比例し、また最初の就職から約5年内外でその時期の直接接触をとおして形式される人間関係が、集団所属に決定的な意味をもつ、という限定条件がある。
この時期を例えばB社で共有できなかったものが、A社に10年勤めた後、B社に20年勤めたとしても、そのマイナスはカバーするのは難しい。
人間平等主義の上に成り立つタテの人間関係
すべての人間は本質的に平等の素質を持っていて、ただそれが環境や機会の有無によって差が生まれる、という人間平等主義が日本人の考え方であり、よって、同じ環境であれば年月をかけた方が能力が高いという発想になる。
よって、ここに年功序列が生まれる。
人間の能力平等は平等という立場にたてばたつほど、序列偏重に偏らざるをえない。
そして、能力による差は同期の間だけという極めて狭い範囲で認められる。同期世代のなかだけで競争は行われ、よって「ヨコ」の関係のものはみな敵になる。
それに比べて「タテ」の関係は強く、それは例えば大学で教授間の距離より、ゼミの生徒達との距離の方がより近いことに現れている。
タテ社会への入団条件
タテ社会は第2図Xのような、底辺のない3角形によって表される。
上司と部下のタテの関係だけが存在し、ヨコのつながりがないのである。
このような集団に所属するためには、例えばhがXに所属したければ、成員のいずれか1人、例えばbに綿密な関係を設定し、bがaからの承諾を得られればそれだけで入団できてしまう。
言ってみれば、hが入団できるかどうかはbだけの問題であり、bの傘の下に入っていないものには関係のない話になる。
それに比べてヨコ集団は第2図のYのような関係になっており、入団にはだいたい組織全員の承諾が必要となる。
これは、その都度成員全員の承諾を得るというプロセスは組織が大きくなると難しいので、集団成員のルールが明確に規定される。
ようするに、人間関係によって入団できるのではなく、集団の規制に充実であれるかどうかが鍵である。
Xと比べてYの方が排他的であるが、一度内部に入れると他の成員と同列とみなされる。
そして、ここで興味深いのがXの場合だと個々人の人間関係がそのまま集団組織のあり方を決定してくるので、集団のなかで派閥というものができあがってくるところである。
このような日本の集団に見られる社会構造の中、リーダーになるために必要な素質は天才的な能力ではなく、人間に対する理解力・包容力を持ち、子分を情的に把握することである。
応用
自分が日本で組織の上に立つ立場になったときに、是非読み返したい本だと感じた。
日本の「感情的アプローチ」で仕事が運ばれるなどという文化は自分1人で変えられるものではないので、それを理解し、利用することで、その企業のポテンシャルをフルに引き出すことができるだろう。
まとめ
このように、日本の社会は「場」による集団によって形成され、人間平等主義の上に成り立ち、よってヨコよりタテの関係が強くなり、またそれは感情的な人間関係によってさらに強調される、ということがわかった。
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